フルートの伴奏は何を表しているのか
フルートメインの伴奏が2回出てきます。車を降りて、晴海〔はるみ〕が埠頭に立ったときの場面とセメントを積んでいる倉庫で風優哉(ふうや)が膝を抱える場面です。そして、2年ぐらい経った頃に「なぜここだけフルートがメインとなる伴奏をしているのだろう」という思いを持つようになりました。
1回目は晴海〔はるみ〕が埠頭で回想しているシーンだということが分かります。テレビドラマにおいては、俳優が回想するシーンで俳優本人がナレーションをすることがよくあります。そのため、一人称客観視点(前述)だから、晴海〔はるみ〕自身がナレーションをしていることを強調するためにフルートで伴奏しているのだろうと考えました。
しかし、2番の倉庫のシーンは回想シーンではありません。予想は筋違いだったと思いました。しかし、2番のセメント倉庫のシーンのある言葉が引っかかりました。それは「急に幼い」でした。これは、もしかすると、その場に直面している晴海〔はるみ〕にとっては口に出して言いたくない内容であり、そのため、客観的な事実を伝えるように淡々と言うという意味合いを持たせるために、ナレーターとしての晴海〔はるみ〕に言わたのではないかと考えました。この考えだとフルート伴奏と晴海〔はるみ〕がナレーターとして語っていることが整合します。
ということで、フルートの伴奏は晴海〔はるみ〕がナレーターとして語っていることを強調している場面だろうと推察しました。
ギター演奏のチョーキング ハンマリング プリング
チョーキングとは、ギターの弦を押さえている左の指を、押さえたまま上(上隣の弦の方)にずらすことで音程を高める技巧です。間奏のギター演奏のときには、このチョーキングが多用されています。「ポ ↗オーン」と音程をずらすことで、不安定さ、揺れといった心情を表現しているように感じられます。
また、ハンマリング(右手で弦を弾かずに、左指をハンマーと見立て、弦をたたくように押さえることで音を出す)や、プリング(押さえた左指を離しながら弦を弾く)という技法も使われています。これらの技法の場合、柔らかく音程が変化する音が出ます。そのため、迷って揺れ動く様子などのイメージが浮かんでくるように思えました。
そして、敢えて軽やかには演奏をしていないように聞こえます。このことで、風優哉〔ふうや〕が重く受け止めているような雰囲気を感じられると思いました。
従って、ギター演奏は風優哉〔ふうや〕の深刻に迷って揺れる不安な気持ちを表しているのだと捉えました。
間奏以外のヴァイオリン伴奏は何を表しているか
間奏のヴァイオリン演奏は海風を表していると前述しました。
しかし、ヴァイオリンは間奏だけでなく、伴奏としても2回登場します。では、ヴァイオリンの伴奏は何を意味しているのでしょうか。
ヴァイオリン伴奏は2回ともフルート伴奏の直後となっています。1番の忘れた景色を風優哉が探しに来たという場面、そして、2番の晴海〔はるみ〕が短いキスを海風にあげる場面です。ぺいの解釈では、ナレーターではなく晴海〔はるみ〕自身が心の中で思っているモノローグとして語る場面で伴奏されています。他にも、晴海〔はるみ〕が心の中で語っているモノローグの箇所はたくさんあります。それなのに、なぜここだけヴァイオリンの伴奏なでしょうか。
前述したようにヴァイオリンは海風に関係があります。まず、2番のヴァイオリン伴奏から考えてみました。2番は海風にお願いのキスをしている場面だとある程度解釈が進んでいました。だとすれば、1番のヴァイオリン伴奏も風にお願いしているのでは?と考えてみました。その前提をもとに考えると、なぜ晴海〔はるみ〕にキスをあのときしたかという理由を探しに来た風優哉〔ふうや〕に対して、晴海〔はるみ〕が海風に思い出させてほしいとお願いしているのではと考えてみました。このお願いであるならば、1、2番とも違和感はありません。また、風でもある風優哉〔ふうや〕に晴海〔はるみ〕が「私を見付けて」とお願いしていることとも重ねることができます。
以上のことから、2回のヴァイオリンの伴奏は、晴海〔はるみ〕が風優哉(ふうや)や海風にお願いをしている気持ちが込められていると解釈しました。
金管楽器の間奏、伴奏は何を表しているか
聴き始めて2年くらい経った頃だったと思います。(同時に2,3個発見したり思い付いたりすることもあるので、年月は正確に把握していません)「私を隣に乗せて」のフレーズの後に鳴る金管楽器の短い伴奏のメロディーが、2種類あることに気付きました。オノマトペで表現するとするならば、1番は「プォーン」で、2番以降は「パッ プッ ポッ」と演奏していることが分かりました。
なぜ違う演奏なのだろうかと何度も同じ箇所を聴いていると、1番は「えーっ」と驚いたような感じだと思えてきました。そこから、もしかして、これは「風優哉〔ふうや〕の台詞」なのでは、という考えが浮かんできました。
だとすれば、他の「私を隣に乗せて」の後の演奏箇所にはどんな言葉が当てはまるのだろうかと考えてみました。
そうして、いろいろと考えて3ヶ月ほど経った頃、埠頭に向かう前の4回繰り返す金管の演奏フレーズも、もしかして風優哉〔ふうや〕の台詞なのではないかと思い付きました。思い付く前は、なぜこの演奏フレーズは4回なのか、ということに頭が支配されて、風優哉〔ふうや〕の台詞だというこには全く気が付かなかったのでした。そう思って何度も聴いてみると「どうして?」「どうして?」「どうして?」「どうして?」というように聞こえてきました。そのとき、これだ、きっとそうに違いないという確信に近いものを得た気がしました。なぜなら、風優哉〔ふうや〕が埠頭に行きたい理由は、「どうしてあのとき海風になったのか」という答えを探しにいくためだとにらんでいたからです。
「どうして」という伴奏部分と埠頭に行く理由が整合すると思い、解釈がまた一歩進んだ気がしました。
更に、3ヶ月ほど経った頃、
街の 灯りは 遠くなびく帚星
「埠頭を渡る風」作詞:松任谷由実(12枚目シングル東芝EMI 1978.10.5発売)
上記の歌詞の後には「パパパパ パーパッ」という金管伴奏のフレーズがあり、「もしかして、もしかして、これも風優哉〔ふうや〕の台詞を表しているのでは」と思うようになりました。さらには、「街の<パパパッ>灯りは<パパパッ>」の部分の演奏ももしかして風優哉〔ふうや〕の返答なのではと思えてきました。
つまりは、金管の伴奏部分はすべて風優哉〔ふうや〕の返答や台詞を表しているのかもしれないと思うようになりました。
そして、その2ヶ月後ぐらいに、ギター間奏の後の4回リフレインする管楽器伴奏部分が、「○○だった」と「○○した」と言っているように聞こえることに気付かされました。
伴奏に合う言葉を当てはめては打ち消し、当てはめては打ち消しを繰り返し、ようやく解釈の完成へとつなげることができたのでした。