「埠頭を渡る風」と「皆まで言うな」の関係
「皆まで言うな」(既に分かっていることだから全部言わなくてもいい。)という慣用句?(または、コロケーション:慣用句ほどの強い結び付きではないが、よく使われる2語以上の組み合わせ)があります。
この言葉には、
○「聞き手が既に分かっていることを話し手が得意そうに全部言う行為は、話し手が野暮で粋ではないと思われるからやめた方がいい」
○「話し手に全部言われたら聞き手は理解不足者だと思われてしまうからやめてくれ」
○「はっきり全部言ってしまうと相手を傷付けたり、更に追い打ちを掛けたりすることになりかねないから、全部言ってはいけない」
という意味があると考えます。
これは俳句に通じる思いだと感じます。俳人の夏井いつきさんがあるテレビ番組で「俳句は理屈と説明を嫌う」とおっしゃっていました。理屈っぽく説明ばかりの句に詩情を感じることができるのか、侘び・さびを感じることができるのかと言われているような気がしました。
日本はハイコンテクストコミュニケーションの筆頭となる国だと言われます。コンテクストとは文脈や状況のことを指します。そのため、ハイコンテクストコミュニケーションでは、文脈や状況に依存した会話が行われています。つまり、互いに分かっていることは口に出して言わないような会話が多くなります。そのため、日常的に「空気を読んでほしい」「空気を読まなければ」という思いを、誰でも少なからず持って会話をしていると言えます。
ハイコンテクストコミュニケーションの例を挙げると
・例の件できた?
・いつものところでどう?
・この間はどうも
・私を隣に乗せて
「埠頭を渡る風」作詞:松任谷由実(12枚目シングル東芝EMI 1978.10.5発売)
※ 歌詞の解釈の解説をしていくときに、歌詞の引用がどうしても必要となる場合があります。
そのため、このすばらしい曲を生み出していただいた松任谷由実さんに敬意を表しつつ、松任谷由実さんの権利を侵害するようなことを決してしないよう、以下の著作権法32条の引用する際の3条件と5つの引用ルール
≪3条件≫
⑴ 公表されているものであること
⑵ 公正な慣行に合致すること
⑶ 引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものであること
<5つの引用ルール>
① 引用部分が明示されていること
② 引用元が明示されていること
③ 自分の著作部分と引用する著作物との主従関係が明確であること
④ 他人の著作物を引用する必然性があること
⑤ 引用部分を改変していないこと
を厳格に守って提示させていただくことにいたします。
余談となりますが、対極となるローコンテクストコミュニケーション筆頭の国は、ドイツ語圏のスイスだそうです。スイスは公用語が4つ(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)あり、日常どの言語を使用しているかによって、圏(エリア)が4つに分かれています。そして、スイスのドイツ語圏は一番広いエリアとなっています。
ローコンテクストコミュニケーションの国では、互いに分かっていることであってもきちんと口に出し、できる限り言語化しようとします。
ローコンテクストコミュニケーションの国では「空気読んでほしい」という気持ちは通じないようです。
ローコンテクストコミュニケーションで先ほどのやりとりを表してみると
・君に、先週の月曜日、今週の木曜日まで提出するように依頼した新商品「ドリームスター」のプロジェクト資料は既に仕上がっているかい?
・今日の夕方6時半から、今日のプレゼンテーションの慰労会を○○駅東口の居酒屋「つぼ八」に集まってお酒を飲まない?
・先々週の金曜日にいただいた京都八つ橋のお土産、おいしくいただきました お心遣い大変ありがとうございました。
・風優哉〔ふうや〕の隣は私じゃないの?私を隣に乗せて連れてってほしい 風優哉(ふうや)が行こうとしているあの場所へ(※1番の歌詞のぺいの解釈)
「埠頭を渡る風」の歌詞は、ハイコンテクストコミュニケーションであり、敢えて言葉を省略し、削っていると感じます。松任谷由実さんは俳句の因果関係を明示するような理屈や説明だけの句が、詩情とはかけ離れ、無粋でつまらなく、侘び、さびがないものになってしまうことを知っていた上で作詞されたのかもしれません。
このことが、聴者にいろいろな想像をかき立てさせています。