「埠頭を渡る風」解説編③ 物語の視点について

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視点の効果について考える

 この物語に明示されている登場人物は晴海〔はるみ〕と風優哉〔ふうや〕の二人だけです。ただ、もしこの曲がテレビドラマだとすると、二人の台詞だけでは視聴者に状況が理解できない場面が出てきてしまいます。それを解消する役目をするのが、ナレーターです。そして、このナレーターもドラマを演出する上で、とても重要な役目を果たします。

 では、この「埠頭を渡る風」の物語のナレーター役がいるとすれば、それは誰でしょうか。それは晴海〔はるみ〕自身だと考えました。歌詞の中で晴海〔はるみ〕が音声として発した台詞はそう多くはないと解釈しています。そのため、この物語では、晴海自身がナレーター役となり、晴海〔はるみ〕の心情や状況、晴海〔はるみ〕が見た景色などを聴者に説明する場面があると捉えました。

 ちなみに、晴海〔はるみ〕がナレーター役となって物語の状況を伝えるときは、一人称の「私は」、「私が」「私の」という立場で、晴海自身が見たこと感じたことを説明することになります。(例:私はこのとき、あなたが海風になったのだと思ったのです。等)
 イメージとしては、晴海〔はるみ〕の背後に見えないもう一人の晴海〔はるみ}がいて、必要なときにナレーターとして晴海〔はるみ〕の心情などを独り言のように語るようになります。晴海〔はるみ〕のナレーターは、風優哉〔ふうや〕の心情を外見から予想するだけで、二人の未来もどうなるのか分かっていない状態です。この立場・状態のナレーターを一人称視点と呼ぶとのことです。

「埠頭を渡る風」の解釈を進めていく中で、どうしても物語の中の晴海〔はるみ〕が語ってしまうと、ぎこちなくなって不自然になってしまう箇所が出てきました。そのとき、視点(ナレーター)という存在に気づき、そこに登場させることで不自然さを払拭することができたのです。

この視点については国語ノート-授業の研究- 国語科教育研究者の阿部 昇氏のサイト物語・小説の「語り手」の視点 — 三人称の語り・一人称の語りとはを参考にさせていただきました。

 一人称視点での解説は、晴海〔はるみ〕の心情が直接語られるため、臨場感が生まれ、聴者と晴海〔はるみ〕の一体感が増すような印象を受けます。 

 一人称ではなく、もし晴海〔はるみ〕と風優哉以外の人がナレーターを行うとするとどうなるでしょうか。その場合、第三者が彼女、彼という三人称の代名詞で二人を捉えて解説をすることになります。例えば、「彼女と彼は埠頭で互いを意識するようになったのです。」というようなナレーションのイメージとなります。そして、この立場のナレーターを三人称(客観・限定・全知)視点と呼ぶとのことです。この三人称視点の場合、ナレーターは基本的に物語の人物として登場してきません。
 この三人称視点は物語の展開や動きが表しやすくなるようです。しかしながら、思いを語るような場合には第三者が語っているようになるため感情移入が難しいと言われています。

 

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