「他人の不幸は蜜の味」の捉え方

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 人間の本能?「他人の不幸は蜜の味」

 「他人の不幸は蜜の味」ということわざが示すように、悲しいかな、人間というものは他人が不幸になると喜んでしまうことがあります。かく言う私も例外ではありませんでした。

 私の例で言うと、日本語教育能力検定試験に合格しなかったとき、知人も合格しなかったと聞いて、なんだかほっとしてうれしい気持ちになったことがあったのです。このときは、合格した人に心から合格おめでとうと言えるような心情ではありませんでした。他の例で言えば、知り合いのある人は、家族が病気になったときに、心配している様子を装いながらも、こちらの心情は考慮することもなく、いろいろと家族の病気について根掘り葉掘り聞き出そうとしてきたことがありました。この知り合いの人にとっては、やはり他人の不幸はおいしい話であり、私だけがその情報を知っているという優越感を浸りながら、いろいろな人に触れ回ることができると思ったのでしょう。そのときは、他人の不幸な話を蜜のように魅力的な話のように思っている知人に対して、がっかりした気持ちとあきれた気持ちを抱きました。

 この「他人の不幸は蜜の味」に関する科学的アプローチの実験については、国立研究開発法人 科学技術振興機構の共同プレスや、「なぜ他人の不幸は蜜の味なのか:幻冬舎ルネッサンス」(京都大学大学院医学研究科准教授、医学博士 高橋 英彦 著)という書籍に書かれています。その実験は「心」をダイレクトに見ることができるfMRIという装置を使って調べたそうです。

 それによると、被験者にねたみの感情が起きた場合は、脳の前頭葉の前部帯状回の上の部分が活動するとのことでした。そして、この部分は、体の痛みの処理に関係している部位ということです。つまり、ねたんでいる状態は痛みを感じている状態と似ていると言えます。

 そして、ねたみを抱いた人物に不幸が訪れる場面を被験者に見せると、脳の線条体という部分が活動したとのことでした。この線条体は報酬とかかわる部位だそうです。線条体には脳内伝達物質のドーパミンが豊富にあり、報酬が得られるとドーパミンが脳内に放出され、心地良さや満足感を感じるとのことです。

 fMRIを使った著者の実験では、脳は他人の不幸を見ただけで、食べものやお金を得ていないにもかかわらず、あたかも報酬を得たかのような反応を示すことが分かっています。この線条体は理性を司る部位よりも深い部分にあるため、理性で制御することは難しいそうです。つまり、「他人の不幸は蜜の味」と感じることは、人間の本能的な反応だということになります。また、この線条体が活動したときには、前部帯状回の活動が収まり、痛みがやわらぐようにもなるそうです。

「他人の不幸は蜜の味」も使いよう

 さて、「他人の不幸は蜜の味」という言葉は、人間の醜く卑しい部分を言い表す表現として使われています。しかしながら、この言葉は「人間を勇気付ける方法」について表していると勝手に思っています。
 それは、前述の試験に落ちた話につながります。もし、自分だけが試験に落ち、周りの人が全員合格したならば、その失意は相当大きなものになったことは想像に難くありません。しかし、実際は周りの人の大半が不合格だったことが甘い蜜となって、「自分だけじゃない」という安心感を生み、大きな失意に至ることを防いだのです。他人の不合格という不幸が自分をなだめ、次こそ頑張ろうという気持ちに導いてくれたのだと言えます。恐らく、他の不合格の人も私の不合格の事実を知り,同じような思いをしたと思います。
 このような体験から、同じような不幸,あるいはもっと大変な人がいるという事実は、人を勇気付ける力があるのだと確信したのでした。

 

 

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