「事柄」の記憶より「人物」の記憶で

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社会科が苦手だったのはなぜ? 

 小学校から高校まで、私は社会科の勉強が好きではありませんでした。
なぜ好きではなかったのかと思い返してみました。中学、高校の社会科の授業を思い出そうとしますが、話を聞いて黒板を写しての繰り返しの映像しか浮かんで来ません。漫談のように楽しい話をする先生もいませんでした。
いろいろと思い出してみましたが、好きでなかった主たる原因は、覚える用語が多かったからだという結論に行き着きました。用語が覚えられないから、先生の話は右から左に流れて行きます。黒板もみんな書いているから書くという具合です。見方を変えて言えば、覚えることが主眼の授業ばかり受けてきて、自分で考えて答えを導くような授業を受けてこなかったということになります。
 

 世界史は本当に苦戦しました。カタカナの人名や用語がとても多いからです。今でもその名残か、映画館やテレビで洋画を見るときに、登場する人物の名前が覚えられず、たとえ男と女だとしても混同してしまいます。映画の最後の最後になってやっと名前と顔が一致するという有り様です。
 

 映画の登場人物のカタカナの名前がなかなか覚えられないくらいだから、お堅い真面目なカタカナ用語は、なおさら覚えられないような気がしました。とはいえ、そんなことばかり言っていても問題の解決にはなりません。そのとき、あることを思い出したのです。著者が誰だっのかはすっかりと忘れてしまいましたが、その本には歴史が好きになる方法が書いてありました。その内容を要約すれば「歴史は事柄として覚えるのではなく、人と人のつながりで覚えなさい」ということだったと思います。「歴史を過去に起きた事柄として覚えるのであれば、つまらない勉強になり、興味も持てなくなる。興味が持てないものは覚えにくくなる。歴史は人が作り上げてきたものだから、その人がどのような人物で、その人と他の人がどのように関わり、どうなっていったのかということを中心に勉強すれば、親しみも興味も湧きやすくなる。興味も湧けば勉強も楽しくなり、楽しくなれば自然と覚えられるようになる」ということが書かれていたと思います。これを、日本語教育能力検定試験の勉強に応用すれば、記憶を強化できるかもしれないと感じました。

事柄ではなく人がしたこととして覚える

 用語集に載っている言語やコミュニケーションの研究をした先生方は、日本よりも外国の方が多く、カタカナ表記となっています。そこで、用語集の事柄として覚えるだけでなく、この研究をしたのはどのような顔をした人なのかも一緒に覚えるようにすればいいのでは、と思い付きました。
 早速、ネットやツイッターなどを見て、用語集に載っている研究者の方々の顔が写っている写真を集めました。そして、wordを使い、写真が1.5cm四方程度の大きさになるようにトリミングをして貼り付け,写真の下に人名を打ち込み、一覧の原稿にまとめました。最後に、その一覧を印刷し、用語集の人名が記載されている近くに貼りました。

用語集に貼った研究者の顔写真
(ぼかしが入っています)

 当然ながら、写真には写真を撮った方の死後70年間は著作権が発生します。中には関連団体が著作権を有している場合もあります。また、これとは別に、写真に写った本人の肖像権は、本人の生存中だけでなく本人の死後も発生します。
 しかし、著作権法第30条には「著作物は、個人的または家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下、私的使用)を目的とするときは、使用する者が複製することができる」とあります。そして、肖像権についても写真を公表することなく私的使用に限定するのであれば侵害に当たらないと考えました。
 上記の方法は、これらを踏まえた上で、私的使用として取り組んだことをどうかご承知おきください。

 この方法をとったことで、「この人がこんな研究を行ったのか。なるほど、ちょっと厳しいお顔をしている。おや、こちらは意外とにこやかなお顔だ。スウェイン先生やレヴィン先生は女性の先生だったのか。」などと、研究は人がしているのだと実感し、研究者と研究内容について親しみを持つことができました。そのため、確かに、人物と事柄が結びついて覚えやすくなったと感じました。

 

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