「埠頭を渡る風」解説編⑪ 「それ以上」の「それ」とは…その1

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「それ以上」の「それ」が状況を示唆する

晴海〔はるみ〕が、本当は口に出して叫びたいけれども、心の中で叫んでいるモノローグがあります。

もう それ以上 もう それ以上 やさしくなんか しなくていいのよ
「埠頭を渡る風」作詞:松任谷由実(12枚目シングル東芝EMI 1978.10.5発売)

 実は、歌詞を分かっていると過信していた自分の鼻をへし折られたことがありました。解釈すると決めて1年ぐらい経った頃に「晴海〔はるみ〕は「これ以上」ではなく、「それ以上」と言っている」とそのとき初めて分かったからです。(われながら呆れました)

 勝手に思い込んでいた状況にとても落胆しました。しかしながら、「それ」と歌っていると分かったことで、この歌詞のモノローグの解釈が少し進むような気がしました。

 それはなぜかというと、晴海〔はるみ〕が、「これ以上」と心の中で叫んだ場合は、「これ」を指し示すものが晴海〔はるみ〕の領域内のことであり、晴海〔はるみ〕に関わる事柄を指し示すことになります。従って、「これ以上」と訴えた場合は、「風優哉〔ふうや〕は私にもうやさしくなんかしなくていい」という意味になります。この状況だとすっかり思い込んでいたため、晴海〔はるみ〕がどうしてそんなことを言うのか、その理由を見付けることができないでいました。

 そこで、気を取り直して、「それ以上」の「それ」について考えてみました。

「それ」という指示語は、「二人が対立している(離れている)場合」と「対立していない(接近している)場合」では指し示す領域が異なります。
 では、対立している(離れている)場合の「それ」はどのような領域を指し示すのでしょうか。この場合は話し手である晴海〔はるみ〕の領域ではなく、聞き手である風優哉〔ふうや〕の領域にあるものを指し示めすことになります。
 つまり、晴海〔はるみ〕は「それ以上、風優哉(ふうや)は美帆〔みほ〕にやさしくしなくていい」と第三者の立場からモノローグとして話していると解釈してみました。

 これで、すべて解決、1番、2番のリフレインもこの解釈でいいのかもしれないと思ったのです。しかし、少し気になることがありました。それは、何かと言うと、「松任谷由実さんが1番と2番でリフレインさせている箇所は果たして同じ意味で使っているのだろうか」という疑問です。歌い方も、松任谷由実さんは「いいのよ」の箇所は1回目と2回目で変えています。幾多の経緯を経て、やはり1番と2番では意味を変えているに違いない(※リフレインでは意味を変えていることについては「解説編⑬ リフレインが叫んでいるのは その1」をご覧ください)と考えるようになりました。

 そこで、2回とも風優哉〔ふうや〕に「いいのよ」と訴えていると仮定し、意味合いにどんな変化を持たせているかと考えてみました。

 いろいろと調べていくうちに、文末の「よ」を命令・依頼を表す終助詞だとするならば、イントネーションで意味合いが変わるということを解説を見付けました。【初級を教える人のための日本語文法ハンドブック松岡 弘 監修 スリーエーネットワーク】

 これによれば、「いいのよ」を文末下降イントネーションで言った場合は、強い命令や依頼の表現になります。そして、文末上昇イントネーションだと柔らかく促すような表現となります。

 そこで、曲の1番は文末上昇イントネーションで、2番は文末下降イントネーションとして、そして反対に、1番が文末下降イントネーションで2番が文末上昇イントネーションとして、歌詞に当てはめてみました。

一週間ぐらいは、「この解釈でいいのでは」と思いました。ですが、やはりしっくりこないことに気付きました。それは上昇イントネーションで風優哉〔ふうや〕に軽く促しているとするならば、晴海〔はるみ〕の真剣さや切実さが感じられなくなってしまうということでした。1番を下降イントネーション、2番は上昇イントネーションにした場合はなおさらです。風優哉〔ふうや〕が泣いたからといって軽く促すように言うのであれば、あまりにも風優哉〔ふうや〕を子供扱いしているように感じられてしまうからです。そのため、この曲のイメージには合わないと感じました。ということで、イントネーションによる意味合い変化説は立ち消えとなりました。

 その後、他の仮説は立てられないかと考え続けていました。そこで、原点に戻れということで「それ」の意味に立ち返りました。対立しているとき(離れているとき)の「それ」は風優哉〔ふうや〕の領域にあるものを指し示します。これに対して、対立していないとき(接近しているとき)の「それ」は両者から少し離れた共有の領域を指し示します。この共有という意味から連想されるものが出てきました。晴海〔はるみ〕の頭の中に美帆〔みほ〕が思い浮かんでいるとするならば、美帆〔みほ〕のことも指し示すことができるのではと考えました。「それ」は二人が直接見ている人や物であったり、二人がその場で直接見ていないけれども、会話の中に出てきた物を指し示したりすることが可能です。

 そのため、2番は二人に共通する人物の美帆〔みほ〕の幻影に対して訴えているのではないかという仮説を立ててみました。そうすると、1番は離れている風優哉〔ふうや〕に対して「風優哉〔ふうや〕は美帆〔みほ〕に対して優しくしなくていい」と訴え、2番は風優哉〔ふうや〕に接近した晴海〔はるみ〕が美帆〔みほ〕の幻影に対して「美帆〔みほ〕は彼氏ができたのだから、風優哉〔ふうや〕に優しくなんかしなくていい」と訴える意味になります。歌詞の意味合い的にも成り立つような気がして「解釈が進んだ」と喜んでいました。

 しかし、また、どこか腑に落ちないという気持ちがありました。ですが、その腑に落ちない理由はずっと分からないままでした。

 4ヶ月ぐらい経ったころ、語尾の意味をいろいろと検索していたときに、「いぬ研究所」さんの「どこよりも曖昧でない日本語教室」http://headjockaa.g1.xrea.com/realjp/index.htmlというホームページを見付けました。

 そこの、-日本語の語尾「のよ」の使い方-の解説によると、「のよ」の「よ」は終助詞ではなく間投助詞であり、呼び掛け表現断定表現、あるいは呼び掛けと断定の両方含まれた表現として使われるとのことでした。そして、「のよ」となった場合は「強めに非難する・指摘する・ダメ出しする、または、激しく同意する」というような意味になると書かれていました。

 この「のよ」の意味を歌詞に当てはめてみると、もし、晴海〔はるみ〕が美帆〔みほ〕を強めに非難するとなった場合、美帆〔みほ〕がいつも風優哉〔ふうや〕に優しくしていたという前提が必要になります。(歌詞の解釈がある程度進んでいた段階だったので、風優哉〔ふうや〕が一方的に美帆〔みほ〕に対して好意を寄せていたようなイメージは持ち合わせていました。)その考えでいくと、状況設定として整合しないところが出てきました。

 それは、もし仮に、美帆〔みほ〕が誰に対しても優しく、風優哉〔ふうや〕から好意を持たれる前にも風優哉〔ふうや〕に優しくしていたことを晴海〔はるみ〕が非難するのであるならば、晴海〔はるみ〕の妬みやひがみ、やっかみという感情が出てくるということです。晴海〔はるみ〕にこのような感情表出を暗示させることはこの作品に不似合いであり、歌詞のイメージとはかけ離れてしまうと思いました。また、風優哉〔ふうや〕が好意を持っていると美帆〔みほ〕が気付いてから風優哉〔ふうや〕に優しくし、なおかつ、新しい彼氏も作るというのであるならば、美帆〔みほ〕は相当性格が悪い女性ということになります。歌詞の中に登場させない美帆〔みほ〕という存在に、果たしてそのような役割を持たせるかという疑問も生じてきます。このような理由で、2番の美帆〔みほ〕の幻影に訴えている説も消えることとなりました。

 

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