「埠頭を渡る風」解説編⑫「それ以上」の「それ」とは…その2

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「それ」が指し示す位置関係を考える

もう それ以上 もう それ以上 やさしくなんか しなくていいのよ
「埠頭を渡る風」作詞:松任谷由実(12枚目シングル東芝EMI 1978.10.5発売)

 解説編⑪で示したように、松任谷由実さんはこのフレーズの意味を1番と2番で変化させているという前提で解釈に挑んでいました。(リフレインするのはなぜかという理由を述べた「解説編⑬リフレインが叫んでいるのは その1」も併せてぜひご覧ください。)

 2年半も過ぎたころは、美帆〔みほ〕にも訴えず、風優哉〔ふうや〕だけにこのフレーズを訴えているとすると、意味を変えることなどできないのではないかと思うようになっていました。しかし、決定打となるような考えが浮かばず、暗礁に乗り上げたような気がして別の箇所を考えている、そんな日々が続きました。

 あるとき、車で曲を聴きながら信号待ちをしているときに、男女二人で乗っている車とすれ違いました。このとき、何か歌詞の状況と似ているかもという思いがよぎりました。そして、明示している登場人物が2人しかいなくて、リフレインの意味を変化させるためには訴える対象を風優哉〔ふうや〕でない人物に変えればいいのでは、と気付きました。すると訴えられる人物は一人しか残っていません。そうです。それは晴海〔はるみ〕自身に訴えているのではい考えが思い浮かんだのです。

 そこで早速、運転しながら、晴海〔はるみ〕自身に訴えるという視点で歌詞を解釈してみました。果たして意味は成り立つのかと不安でした。しかし、話題になったドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」がそれを後押ししてくれました。それは主人公がもう一人の別の人格の自分と対峙して言い合うシーンです。もしかして、このような状況になのではと考えました。すると、晴海〔はるみ〕が晴海〔はるみ〕自身に納得させるために言うのであれば意味が成り立つと分かりました。松任谷由実さんは1番と2番では意味を変えて歌っているという仮説は間違っていなかったかもしれないと思い、解釈が進んだうれしさをかみしめながら運転を続けました。

晴海〔はるみ〕が自分自身に言い聞かせていることにすれば、意味は成り立つと分かったのは、解明すると決心してから2年半以上も過ぎた頃でした。

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