「埠頭を渡る風」解説編⑮ 選ばれた言葉での構成

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なぜ「セメント」という言葉を選んだのか

 言葉にはイメージが付随しています。たとえば、イチゴという言葉を聴くと「酸味」「甘さ」などの味や「ケーキ」などスイーツの材料となるようなイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか。

 では、「埠頭を渡る風」の歌詞にある「セメント」という言葉からはどんなイメージが感じられるでしょうか。

セメント積んだ倉庫の陰で 膝を抱えるあなたは 急に幼い
「埠頭を渡る風」作詞:松任谷由実(12枚目シングル東芝EMI 1978.10.5発売

私は「無機質、堅い、動かしがたい、冷たい、光を通さない、灰色」などのイメージを持ちました。

そして、「積んだ」という言葉からは、「背丈を超えて手が届かない、途方もないほど多くの」というイメージが浮かんできました。

 「セメント」という言葉は歌詞に入れにくいのではないかと勝手に思っているのですが、松任谷由実さんは、この「セメント」をはじめとした「積んだ」、「倉庫」、「陰」という言葉が持っているイメージを巧みに使い,風優哉〔ふうや〕の心情を見事に暗示し、代弁させていると感じます。むしろ、ここは「セメント」でなければならないと思えるほどぴったりだと感じ入ってしまいます。

大小の対比に意味を持たせる

 このフレーズでは、「セメント積んだ倉庫」である大きな存在と「膝を抱えるあなた」という小さな存在を対比させています。それにより、風優哉〔ふうや〕の小ささを際立たせているように感じます。また、「陰」という言葉もそれに加勢しているように思えます。
 では、なぜ、風優哉〔ふうや〕の存在が小さくなるような表現をしているのでしょうか。それは、風優哉〔ふうや〕が自覚した無力感を表すためだと考えました。では、風優哉〔ふうや〕に無力感を感じさせたこととは何でしょうか。それは2つあると考えました。1つ目は、セメント積んだ倉庫は、美帆〔みほ〕に彼氏ができたという動かしがたい現実です。そして、2つ目は、晴海〔はるみ〕に悲しい思いをさせていたという風優哉〔ふうや〕が自覚した罪の大きさです。  
 美帆〔みほ〕に彼氏ができても、何もできない自分がいる。晴海〔はるみ〕に対して申し訳ないという気持ちがあっても、何もできない自分がいる。そのような無力感を表現するために大小の対比をさせたのだと推察しています。

なぜ「急に幼い」という表現なのか

 「急に幼い」とはどういう意味なのでしょうか。歌詞には泣いたということが明示されていません。しかし、私は、風優哉〔ふうや〕は泣いたのだと考えます。それは、晴海〔はるみ〕が見たときに、幼く見える行為を考えてみれば分かります。例えば、「ハイハイする」「赤ちゃん言葉でしゃべる」「指をしゃぶる」「手足でいたずらする」「だだをこねる」「泣く」などが挙げられるでしょう。そして、歌詞の埠頭にいる状況において、「急に」という言葉で修飾でき、不自然でない行為を選ぶとすると「泣く」という行為しか選択できないと考えます。
 では、「泣いた」のであるならば、なぜ「泣いた」と明示しなかったのでしょうか。言葉を換えて言えば、なぜ、「泣いた」ことを暗示したのでしょうか。これは晴海〔はるみ〕の風優哉〔ふうや〕に対する思いやりや気遣う気持ちを松任谷由実さんが表現したかったのだと考えました。風優哉〔ふうや〕が「泣いた」と表現してしまうと、晴海〔はるみ〕が強者で風優哉〔ふうや〕が弱者というイメージが強調されてしまいます。また、晴海〔はるみ〕は上から目線で風優哉〔ふうや〕を見ているように捉えられることも危惧したのかもしれません。しかしながら、泣いたことを口にしないで、知らないふりをすることで、風優哉〔ふうや〕が情けない気持ちにならないように気遣うという晴海〔はるみ〕の思いを表現したかったのではないかと思っています。

「抱える」と「抱えた」の違いは

 「膝を抱えるあなたは」と「膝を抱えたあなたは」は意味が違うが考えてみます。
-解説編① タイトルに込められた意味-でも述べましたが、動詞は「動き動詞」と「状態動詞」に分けられます。そして、「抱える」という動詞は「動き動詞」の動作動詞に分類されます。動作動詞は「~ている形」にすると動きの進行を表すことから見分けることができます。
 さて、この「動き動詞」ですが、過去形でない場合は未来の事態を表すという性質があります。つまり、「抱える」の意味は、「今から膝を抱える」という意味になります。そのため、「膝を抱えるあなたは」は、「今、膝を抱えようとしているあなたは」という意味になります。膝を抱えようとしたとき、急に幼い子供のように泣き出した。急に崩れるように泣きながら小さく膝を抱えたという解釈になります。これが「膝を抱えたあなたは」となると、膝を抱えてしばらく経った後,急に泣き出すということになります。つまり、膝を抱えて、しばらく考えて、急に泣くようになり、風優哉〔ふうや〕の晴海〔はるみ〕への罪悪感が薄れるような気がします。
 この「膝を抱えるあなたは」の箇所は、風優哉〔ふうや〕の気持ちを的確に描写したすばらしい表現だと感じます。

 

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