松任谷由実さんの「埠頭を渡る風」の全解釈をしてみました

<解釈の表記について>

※ 伴奏・演奏の意味を解釈した部分
  ・管楽器による風優哉〔ふうや〕の返事など

※ 歌詞を解釈した部分  
  ・アンダーラインは歌詞に明示されていない部分)
  ・( )は晴海〔はるみ〕の心の中の声、モノローグ
  ・(  )の灰色斜体文字は風優哉〔ふうや〕の心の中の声、モノローグ
  ・ 青文字:晴海〔はるみ〕が発した言葉
 
  ・ 紫斜体文字:風優哉〔ふうや〕が発した言葉

【「埠頭を渡る風」解説編の登場人物等について】をご覧になっていない場合は、先に見ていただくことをお勧めいたします

目次

埠頭を渡る風」(岐路に佇(たたず)む風のあなた) 全解釈に挑戦
「埠頭を渡る風」作詞:松任谷由実(12枚目シングル東芝EMI 1978.10.5発売)

 なお、「埠頭を渡る風」の歌詞は載せておりません。この解釈には、歌詞だけでは分からない、管楽器で風優哉〔ふうや〕の台詞として表現している箇所もあります。「埠頭を渡る風」をお聴きになりながら見ていただければ幸いです。
 なお、お聴きいただく場合には、youtubeなどにアップされている「埠頭を渡る風」のカラオケ伴奏では、海風を表すヴァイオリン演奏や風優哉〔ふうや〕の台詞となる演奏が省略されていることがほとんどですので、ぜひぜひご本人歌唱の「埠頭を渡る風」をお聴きくださいますようお願いいたします。

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前奏序盤のヴァイオリン演奏…【過去、風優哉〔ふうや〕に晴海〔はるみ〕の存在を気付かせ、つきあうきっかけを与えた、埠頭を渡って来た海風の音】

「えっ!」「どうしてそこに?」・・・・」
「誰かの隣に乗ってるのか?・・・・・(理解できない)・・・」                     

前奏終盤のトランペット奏……【 「えっ!」「どうしてそこに?」・・・・」
「誰かの隣に乗っているのか?」:晴海〔はるみ〕との待ち合わせ場所に風優哉〔ふうや〕が向かう途中、誰かの車に乗っている美帆〔みほ〕を見かけた風優哉〔ふうや〕の声】

【冬の雲のない十六夜月の夜、晴海(はるみ)の家の近くの周りを見下ろせる高台】

(風優哉〔ふうや〕、あなたは美帆〔みほ〕に好きな人ができたことを知ってしまったんだね
(動揺を隠せてないよ 美帆〔みほ〕のこと…やっぱりずっと思っている…)
(私と進む未来は、行き着く先までずっと、この青く冷たく寂しいとばりで覆い隠されてしまっているようだよ)
(風優哉〔ふうや〕の隣は私じゃないの?
(こんなに悲しい夜なんてないよ だから)
風優哉〔ふうや〕がこれから行こうとしているところへ、私を隣に乗せて連れて行って」 

「えっ?」

「えっ?」管楽器伴奏による-どうしてそこに行くと知っているのか-と驚いた風優哉〔ふうや〕の声)】

(海風 どうか吹いていて…

街の中を走る車の写真

【埠頭へ向かう車の中での会話】

「街の「どこが?」灯りが「何が?」どんどん遠ざかってほうき星のように見える」「かすんでいる」
(風優哉(ふうや)の心が美帆(みほ)になびいて遠ざかってしまうようで、悲しく見えてしまう)

「どこが?」「何が?」「かすんでいる」晴海〔はるみ〕のつぶやきを上の空で聞いている風優哉〔ふうや〕の管楽器による生返事

-どうしてなんだ 美帆〔みほ〕!- なんて言わないで)
(このままずっとそばにいて) 
(私が隣にいるって気付いてほしい)
 
どうして?!・・・美帆〔みほ〕は他の男と付き合ことになったのだろうか)
(どうして?!・・・自分は美帆〔みほ〕と付き合っていないのだろうか)
(どうして?!・・・美帆〔みほ〕について晴海〔はるみ〕に相談したのだろうか)
どうして?!・・・晴海〔はるみ〕と付き合うことになったのだろうか)

【(そばにいて)の歌詞の途中から間奏の管楽器演奏が始まることから、晴海〔はるみ〕の思いなど意に介していない風優哉〔ふうや〕の心情を表現】
間奏の管楽器4回のリフレイン「どうして?」「どうして?」「どうして?」{どうして?」
と4つのことを風優哉〔ふうや〕が思い詰めるイメージ】

【海風が吹いていたことに安堵し、回想する晴海〔はるみ〕】

【フルートの伴奏:ナレーターとしての晴海(はるみ)が登場し、回想している場面】

「いつだったかなんて思い出すと苦しくなる。相談があるという風優哉〔ふうや〕)から聞いた-「美帆〔みほ〕が好きなんだ」-という言葉」
「私とは…ただの友達…」 
その現実にずっと胸が締め付けられていた
「だけど、あの日、この埠頭を渡って来るこの海風のように、海を見ていた私に風優哉〔ふうや〕がキスしてきたよね」
「あのときの光景は写真のように今でもはっきり覚えているよ」
「だから、風優哉〔ふうや〕に私の存在を気付かせてくれたのは、ここの海風だった」
「私はそう信じてる」

【ヴァイオリンの伴奏:晴海(はるみ)が海風に願う場面】

今の風優哉〔ふうや〕は、美帆〔みほ〕に好きな人ができたと知って傷付き、なぜあのとき海風になったのかという答えを探そうと、忘れていたこの景色を探しに来た)
(きっと、そうだよね)
(そんな風優哉〔ふうや〕に 海風…お願い 思い出させて

【風優哉(ふうや)から少し離れた場所で、晴海〔はるみ〕が自分に言い聞かせ、自分に言い返している場面】

(晴海〔はるみ〕よかったじゃない)
(もうそれ以上、風優哉〔ふうや〕は美帆〔みほ〕に優しくする必要もないし、優しくすることなんかしなくていいんだよ)
(そうすれば、晴海〔はるみ〕は心配する必要もなくなるよ)

(でも、風優哉〔ふうや〕は、私を傷付けないために、美帆〔みほ〕のことなんて何とも思っていないようなそぶりをして強がっていたんだよ)
美帆〔みほ〕にやさしくしなくなったら、私に気遣って強がる姿はもう見られなくなってしまうんだよ)

海風が風優哉〔ふうや〕に強く吹きつける】

まてよ、もしかしたら?

風優哉〔ふうや〕がこれまでの晴海〔はるみ〕との出来事を回想する

やーっぱりそうだ

(身勝手だった)
(嘘つきだった)
(薄情だった)
(傷付けてた)


うわーーーっ

【フルートの伴奏:ナレーターとしての晴海〔はるみ〕が登場して語っている場面】

「さっきまで風優哉〔ふうや〕は、美帆〔みほ〕に彼ができたことを重く冷たい事実だと受け止めていたはずだった」
しかし、風優哉〔ふうや〕は、セメントが積まれた倉庫の陰で、幼い子供のように急に泣き出し、膝を抱えて小さくなっしまった」

【ヴァイオリンの伴奏:晴海〔はるみ〕が海風に願う場面】

(あなたは、私を傷付けてしまったと思って自分を責めてしまったの?) 
(私はどんな言葉を掛ければいいの?)
(風優哉〔ふうや〕に掛ける言葉を見付けることなんかできない)
(だけど、あのときは風優哉(ふうや)のキスが私を苦しみから救ってくれた)
(今度は私が風優哉〔ふうや〕の苦しみを救ってあげたい)


(だから、写真など無くても決して色あせることのないあの日の風優哉〔ふうや〕に、そう、海風に短いキスをあげる)
(お願い、気付いて)

【晴海〔はるみ〕が泣いている風優哉〔ふうや〕のそばに寄り、心の中で風優哉〔ふうや〕に訴える場面】

(もうそれ以上、風優哉〔ふうや〕は美帆〔みほ〕に優しくする必要はないし、優しくなんかしなくていいんだよ)
(いつも、私を傷付けないようにと気遣って強がるような、そんな風優哉〔ふうや〕を好きな私がそばにいるんだから)

海風が風優哉〔ふうや〕に強く吹きつける】

【間奏のヴァイオリン奏=埠頭を渡ってくる海風が強く吹き、風優哉〔ふうや〕を海風の心情に戻し、
 晴海〔はるみ〕は自分にとって大切な存在だったことを強くはっきりと認識させるイメージ】

【間奏ヴァイオリン奏後に、華やかで力強い伴奏二人のこの先が明るくなっていくイメージ

(海風が白い吐息を闇の中にかき消すほど吹き続けてくれた
まるで風優哉〔ふうや〕の憂いを消し去るように)

(海風の言葉を聴いて凍えそうな風優哉〔ふうや〕)を隣で暖めてあげたい だから)
「凍えそうな夜だよ 私を隣に乗せて」

「うん、戻ろう」

「うん、戻ろう」:管楽器による風優哉〔ふうや〕の返事

【高台まで戻る車の中の場面】

(そう、戻ってほしい あのときの風優哉〔ふうや〕に)  

(緩い(「えっつ?」カーブで(「これって?」)風優哉〔ふうや〕に倒れたら(「知ってるはず?」)
私のこの思いをぬくもりから感じてほしい)

(「えっつ?」)、(「これって?」)、(「知ってるはず?」):倒れてきた晴海〔はるみ〕の行為に対しての管楽器による風優哉〔ふうや〕のモノローグ】

(-「どうしてそんなにやさしいの?」-なんて聞かないで)
(風優哉〔ふうや〕をずっと思っている私が隣にいることを分かって微笑んで)

【この後のバスドラムの音が大きくなり、しっかりとリズムを刻む伴奏=これから二人で歩み、共に時間を刻んでいくイメージ(※流線形‘80のアレンジ)】
(※ ユーミン万歳!のアレンジは軽やかにエールを送るような演奏)

(風優哉〔ふうや〕に寄りかかって見ていると、寂しさに覆われた果てない夜の道も、明るく照らしだす新しい朝を迎えに行く道のように感じられる

(もしも、風優哉〔ふうや〕が陸風となって、私が)
「悲しくなる夜は、また、私を隣に乗せてあの埠頭に連れて行ってほしい
「うん、そうだね」
そこで海風が語りかける言葉を聴いて、隣にいる私のぬくもりを、私の思いを感じてほしい)

「遠く帚星のようだった街のうん」「あれが」灯りは、「そうさ」(晴海〔はるみ〕の存在だよどんどん明るく見えてくる「輝いている」
(まるで、遠くにいた風優哉〔ふうや〕が駆け寄ってきてくれるように思えるよ)

(-「今まで…ごめん…」-なんて言わないで)
(このままずっとそばでぬくもりを感じさせて) 

【※この後のヴォカリーズ(ラララ~)は、互いのぬくもりを通した(言葉にしない)会話を表現】

ラーラーラー ララララー ララ ラララララーララーラー ララ ラーラーラーラーラーラー ララ ラーラーラー
ララララー
(おんなじだよ…)
(…あの日と同じぬくもりが感じられるよ)
(ねえ これからも私を隣に乗せてくれる?)

(うん、もちろん)

(うん、もちろん):管楽器による風優哉〔ふうや〕のぬくもりでの返事】

ラーラー ラーラララー ララ ラララララララー
(埠頭を渡って来てくれるんだね)
(海風の風優哉〔ふうや〕が)

(もうすぐ着くよ)

(もうすぐ着くよ):管楽器による風優哉〔ふうや〕のぬくもりでの返事】

ララーラーララララー ララ  
ずっと…ずっと私のそばにいて)

以上が3年近く考え続けた解釈です。

 少しでも「参考なった」、「解決した」、「そうなのか」、「解釈の1つに加えたい」などと思っていただければ、とてもとてもうれしく思います。

 ここで誤解しないでほしいのですが、上記の解釈が唯一絶対で「正しい」解釈なのだとは思っていません。このことについて、「『わかったつもり』ー 読解力がつかない本当の原因 ー  光文社新書」の著者である西村 克彦氏が、その本の中で以下のように述べています。

自らの解釈の「正しさ」を信じたり、「正しさ」を強調することは、他の解釈を排除することにつながりかねません。周辺の記述や他の部分とが整合的である限りにおいて解釈を認めることになります。
解釈が妥当であるかを「正しさ」に求めるのではなくて、周辺の記述や他の部分の「整合性」だけに求めたいというのが私の考えです。
        「 『わかったつもり』ー 読解力がつかない本当の原因 ー  光文社新書 」の西村 克彦 氏

 つまり、西村氏のように、歌詞の周辺の記述や他の記述との「整合性(つじつまが合うこと)」が示されるのであれば、複数の解釈が成り立つというのが私の考え方です。これは、Aの解釈とBの解釈、Cの解釈はどれが正しいのか一つ選ぶという考えではないということです。まず、AとBとCの解釈の整合性はどうなのかと検討することが大切であり、どれも整合性が示せるのであるならば、AもBもCも解釈として成り立ち、それぞれが存在できるのだと考えています。そして、その後、整合性がとれた解釈の中から、聴き手(読み手)の考え方や感情、好みによって、どれがいいかと選ぶことになるのだと思っています。

 皆さん、「流線形‘80」「ユーミン万歳!~松任谷由実50周年記念ベストアルバム」などで、松任谷由実さんのこの名曲を二人の状況を想像しながら、聴いてみてください。

なお、上記の解釈に至った解説編もありますので、よろしければご覧ください。

 

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