「埠頭を渡る風」解説編⑭ リフレインが叫んでいるのは…その2

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リフレインが意味すること

青いとばりが 道の果てに続いてる
悲しい夜は 私を隣に乗せて
街の灯りは 遠くなびく帚星
何も言わずに 私のそばにいて

「埠頭を渡る風」作詞:松任谷由実(12枚目シングル東芝EMI 1978.10.5発売)

 上記の部分は「埠頭を渡る風」の前半と後半に出てきます。つまり、リフレインされている箇所です。(リフレインの効果については【解説編 リフレインが叫んでいるのは…その1】をご参照ください。)


 では、このフレーズは強調の意味でリフレインされているのでしょうか。それとも、意味の変化としてリフレインされているのでしょうか。
 私は意味の変化だと捉えました。多くの小説では、物語の途中に主人公の心情を変化させる出来事があり、主人公のマイナスの心情をプラスの心情に変化させる様子が表されています。この歌も物語として見るならば、晴海〔はるみ〕と風優哉〔ふうや〕はある出来事によって心情を変化させたと考えます。
 晴海〔はるみ〕は「埠頭を渡る風=海風と風優哉〔ふうや〕」を見て、あるいは晴海〔はるみ〕が風優哉〔ふうや〕の海風としてのぬくもりを感じたことによって心情を変化させます。そして、風優哉(ふうや)は「晴海〔はるみ〕の願いがこめられた海風」に吹かれることによって心情を変化させます。二人の心情が前半と後半で変化するならば、同じ意味のままでのリフレインでは歌詞の内容にそぐわなくなってしまいます。

 そのため、このフレーズが与えるイメージは、前半でのフレーズが寂しさ、悲しさ、冷たさといった「寂寥感」、そして、後半のリフレインのフレーズでは明るさ、うれしさ、温かさといった「希望」を持たせているのではないかと推測しました。私の解釈では、晴海〔はるみ〕は物語の最後に希望を持ちます。そのため、リフレインの1回目と2回目が同じ意味であっては、つじつまが合わなくなり、物語としても成り立たなくなってしまうと考えます。

 そして、見落としてはいけないのが、この意味を変化させたリフレインを成り立たせている松任谷由実さんの手法です。この曲全体で使われている手法とは何かと言えば、ずばり「省略」です。(※省略については解説編②「皆まで言うな」の意味を考える】をご参照ください)歌詞を敢えて「省略」したことにより、リフレインさせるフレーズをマイナスとプラスのイメージで2通りに解釈できるように成り立たせています。
 とにかく、二十代後半でこのような表現手法を考えて歌詞にし、音楽も合わせた物語として作品を完成させた松任谷由実さんは、本当にすごいの一言に尽きます。

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